映画『マン・オブ・スティール』感想(ネタバレ&あらすじ有り)

地球で育ち、戦闘訓練も受けていないスーパーマン。対して戦士としての訓練も受け、戦闘に特化したゾッド将軍は戦いの中でさらに覚醒。
それでもお互いの力はほぼ互角。
そして美術館に落ちる二人。

ゾッド将軍を押さえ込むスーパーマンだが、ゾッド将軍の破壊光線が市民に向けられる。
同族か地球人か。最後に選んだのは地球人。
ゾッド将軍の首をへし折り、同族を殺したことに心を痛めるスーパーマン。
その後、国との和解を経て、スーパーマンは再び行方を眩ます。
そして事件が起こった時、そこに居ても不思議でない職場、新聞社 デイリー・プラネットで働くことを決意し、出社するクラーク。
そしてエンディング。

エンディング後のおまけはありませんでした。

この作品を観るには

感想とか

全体的に後半部分まで非常にスローペースで物語が進行していきます。
ドラマ部分7割、アクション部分3割といった所でしょうか。
スーパーマンとして登場するのは丁度物語の中盤部分で、全体的に物語が冗長なので、そこまでちょっと盛り上がりに欠けます。

新人スーパーマン

まず、なんと言ってもマン・オブ・スティールのスーパーマンは凄く人間くさい。
今までのスーパーマン見られる、いわゆる”いぶし銀”的な安心感がありませんでした。
クリストファー・ノーランが現代でのスーパーマンの位置づけを、スーパーマン自身の悩みを持たせると言う答えで作り上げた結果、どのように強靱なスーパーマンが生まれたのかという、クラーク(スーパーマン)のサクセスストーリーとなっていました。
今回の敵はスーパーマン永遠の宿敵レックス・ルーサーではなく、ゾッド将軍に向けられており、それに関する物語がとても丁寧に描かれています。

残念だと思った点

まず、この新たなスーパーマンを見て特に残念だと思った点をいくつか。

スーパーマン特有の安心感という物がない

スーパーマンが来てくれれば何とかなる!という安心感が感じられなかった。
なにより、”人”を助けるということより、”地球”を守るということにこだわりすぎて、観客からの新スーパーマンに対する信頼という物が得られていなかったと思う。
まさに皮肉にも”信頼”を押し出していた今回のテーマがスクリーンの外に向けられていなかったと言うことになる。
今までに無い、悩みを持つスーパーマンに視点が移っている分、失った代償がでかかったのか。

ニューヨークの街が破壊され、市民達が崩壊するビルの瓦礫から逃げ惑っている中、そんな市民に目を向けないスーパーマン

これが一番残念だった。
戦いの中でも、危険に陥る市民一人一人を気にかけ、助け出して欲しかった。
スーパーマンにはそれぐらいの勇士が欲しいし、対象が目の前に居る敵だけで、逃げ惑う市民には目も向けない。
最終的には市民を守ったことになるが、あろう事かビルを立て続けに破壊していくスーパーマンなんて見たくなかった。
しかし、これもスーパーマンになったばかりで、ここからスーパーマンとしての形を築く為のスタートだと思えば容認できるが。。。

スーパーマンが飛び出す際にあのテーマ曲が流れない

やはりこのテーマ曲が流れると「きたー!」と言う感情があふれ出す分、ちょっと盛り上がりに欠けた。

お決まりの台詞がない

「鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!」というこの台詞も「スーパーマン リターンズ」では違った形で見せていてファンをニヤリとさせた部分でもあるので、ラスト、デイリープラネット社での新聞の記事でチラリとでもいいから出して欲しかったかな。

ラスボスへの止めが地味

あれだけ激しい格闘を行って、最終的な止めがチョークスリーパーからの首をへし折るという荒技。
目の前の地球人を選ぶという、今作のテーマの一番の見せ所だとしても、その決着方法が首を折るという地味でショッキングな方法はいかがなものかと。
という感じで、過去のスーパーマンにある王道をある意味で裏切った演出が成されていました。
これが、ザック・スナイダーのスーパーマンだ!と言わせるような仕上がりになっていますが、過去のスーパーマンが好きだった人には物足りなく、異質だと感じるかも知れません。私もその一人です。

格闘シーンの革命

逆に関心、感動した部分はなんと言っても格闘シーン。

こればかりは実際に全貌を見てもらわないと伝わらないと思いますが、最近のハリウッド映画を超越するような映像は本当に見物でした。
一部では”リアルドラゴンボールだ!”などと言われていますが、過言では無いクオリティでした。
特にラストでのゾッド将軍との格闘シーンの、夜のニューヨークビル街を飛び回り戦うシーンはとても美しく、迫力も満点でした。
カメラワーク、VFX、なによりスーパーマン自身のスピード感は文字通りスーパーでした。

より深く描かれた関係性

特に今作のスーパーマンはそれぞれの繋がりがより濃く描かれています。
生い立ちから、巡った土地での出来事、出会い、そして家族との思い出。
やはり里親の父であるジョナサンに絡む話が本当に泣ける。
それもラストにも持ってきたり、感動部分はほとんどジョナサンが持って行っていた。
クラークが人々から非難されないため秘密を守るべく、自らの命を捧げる所など。
久々に実家に帰ってきたクラークに歓喜する母の姿も、またうるっときます。

ダークなスーパーマンは見た目だけ

そんな新スーパーマン、クラーク・ケントを演じたヘンリー・カヴィル。
ファーストビジュアルが公開された時は、その風貌から新しいスーパーマンはダークなスーパーマン!?と思わせたほど、

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一見するとちょっと悪そうな見た目ですが、蓋を開けてみれば悩めるスーパーマンとしての姿を見事に表現していたと思います。
ロイス・レインを演じたエイミー・アダムスはディズニー映画「魔法にかけられて」のイメージが強く、最初はキャリアウーマンっぷりが似合いってない感じがした。
しかしそこはベテランの彼女が成せる技なのか、次第に違和感なく見ることが出来た。
と言ってもキャリアウーマンとしての描写が前半しか無いからなんだろうか。
ゾッド将軍を演じたマイケル・シャノンは悪役が似合うのなんの。
ジョナサン・ケントを演じたケビン・コスナーは何を言うまでも無く、見事な頼れるかっこいい父親を演じられてました。
マーサ・ケントを演じたダイアン・レインも成人した息子を見守る母親として健気な雰囲気が感動を誘い、農家の妻としての風貌も似合っていて、とても良かったです。

ローレンスはいいヤツ

そしてなんと言ってもデイリー・プラネット紙の編集長を演じたローレンス・フィッシュバーン。
最初にこの作品でその名を見た時、絶対に悪役だと思ったら編集長という驚き。
部下のことをよく分かっている頼れる編集長。ローレンス・フィッシュバーンを起用したんだからこれぐらいのシーンは入れなきゃ!って特に入れる必要も無かったような無理矢理入れた感満点の何故かかっこいい場面が設けられていたり。
他にもラッセル・クロウなど、日本でも名の知れた豪華な俳優陣に似合うような見せ場がいくつか設けられていました。

何について調べますか?

そして、これは一緒に見に行った友人が感じたということなんですが。
意識が具現化したジョー=エルのビジュアルがゾッド将軍に、地球侵略を阻止しようと問い詰めるシーンで。
ゾッド将軍がコンピューターに「こいつを消すことはできんのか!?」との場面

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これを彷彿とさせるw
その消すことは出来るのか?の問いにすかさず「出来ます」と言うコンピューターにもちょっと笑える。

しかしテンポが悪い

全体的に物語のテンポが悪く、無駄が多いので、それが作品全体のたるみの原因なのか、物語がつまらなく感じてしまいました。
進行場面もあっちに行ったり、こっちに来たり、要所要所でフラッシュバックにより過去の話を挟んだりする部分が非常に多く、ちょっと見てて「またかよ」感があったかな。
要所要所にスーパーマンとしての盛り上がりがもうちょっと欲しかった。

人間らしいスーパーマン

とにかく先に挙げたように、今作のスーパーマンはとても人間らしい。
自分をアメリが人だと豪語するように、地球で育ったと言う経過をより主張している。
現代のスーパーマンをいかに描こうかと悩んだ結果、現代の悩める30代という結論に至ったのだろう。
完璧なスーパーマンがいかにして、どんな苦労を経て完璧(鋼鉄)な男に仕上がったのかと言う、その元を描いた作品に成っており、個人的には「スーパーマン リターンズ」のような王道なスーパーマンも好みだが、またこの人間くさいスーパーマンもある意味ではアリなのだろうか。
物語の見せ方の部分は残念だったけど、映像はかなり力が入っており、見応えはあります。

続編について

これが序章作品だとしたら、いよいよ続編では”頼れるスーパーマン”の誕生を期待してしまう。
先にゾッド将軍を持ってきた辺り、次ではレックス・ルーサーと言う粋な展開を考えているのか。
続編は2015年5月に公開が予定されているバットマンとの共演作になっており、よりスーパーマンらしいスーパーマンの姿を見ることは出来るのか。
今作「マン・オブ・スティール」の中にもバットマンに関するシーンがいくつか隠されているので、見つけてみるのも楽しいかも知れません。
その続編は同じくザック・スナイダーがメガホンを取ると言うことで、迫力ある戦闘シーンを期待しましょう。
続編の感想(ネタバレ&あらすじ)

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